「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」・・・、松尾芭蕉

平泉、毛越寺を車窓にして 「中尊寺」 へ。平安時代末期、奥州では 「前九年・後三年の役」を経て、藤原 清衡・基衡・秀衡が平泉に築いた繁栄と武家社会の基礎。「中尊寺」の境内を散策すると、鎌倉 「覚園寺(かくおんじ)」 の薬師堂と類似するお堂も在り、時代や文化は鎌倉へと引き継がれました。源 義経がここ平泉で最期を遂げた500年後、1689年(元禄5年)に松尾芭蕉は江戸を発ち奥州に向いました。その旅の記録が 「奥の細道」 ですね・・・ 伯爵 金色堂を背景に・・・ バスを降りて、中尊寺へ・・・ 「五月雨(さみだれ)の 降り残してや光堂」、芭蕉の句碑・・・松尾芭蕉さんが、中尊寺に来られた時の姿・・・? 中尊寺の境内、月見坂・・・ Photo by Kanji. Sep. 4th. 2008. at TYUSONJI-temple in Iwate pref.