鎌倉十井、旧鎌倉は三方山に囲われて・・・ 12月8日(月)

鎌倉時代は三方山に囲われ、自然の要塞のような地形をしているので 源 頼朝さんは鎌倉に幕府を開いたと言い伝えられています。 しかし水源となる川は 「滑川(なめりがわ)」一本しかなく、外敵に攻められた際には大変。 私見ですが 鎌倉幕府は積極的に庶民や寺院に井戸を掘らせたのでしょう・・・?、海岸近くの井戸には塩分が混ざり飲用にはならず、谷戸の山側に掘られた井戸に名井(めいせい)となる、「鎌倉十井」 が残っているようです。「海蔵寺」 総門の右手に、「底脱の井(そこぬけの井)」 という鎌倉十井の一つがあります。説明板をそのまま・・・、中世の武将、安達泰盛の娘・千代能が ここに水を汲みに来た時、水桶の底が スッポリ抜けたたため 「千代能がいただく桶の底が脱けて、水たまらねば 月もやどらず」 と詠ったことから この名が付いたと言われています。 井戸の底ではなく、心の底が抜けて、わだかまりが解け悟りが開けた・・・、という解脱(げだつ)の歌だそうです。伯爵「海蔵寺」境内、総門左側から 今も湧き出る 「十六井」へ・・・トンネルを抜けて・・・真っ暗な 「十六井」、ノンフラッシュ撮影・・・鎌倉時代から枯れること無く、今もコンコンと涌いている 「十六井」・・・Photo by Kanji. Dec. 8th. 2008. at KAIZOUJI-temple in Kamakura.