明治維新に活躍された方々のお住まい・・・ 6/18(W)

■■あらゆる戦争は遺恨(いこん)を残す・・・■■
友好都市提携を拒否された都市
会津若松市福島県
萩市が、会津戦争会津藩と敵対した長州藩の本拠地である事から。 昭和61年(1986年)に、敵として戦った戊辰戦争から120年を記念してそろそろ和解を、と友好都市提携を萩市が持ちかけたが、会津若松市民の多くが「いまだ時期尚早である」「我々は恨みを忘れていない」として、友好関係の締結は拒否された。

戊辰戦争後、長州藩を含む明治新政府軍が鶴ヶ城下に残った2000人以上に上る会津藩士、商人、農民の死体の埋葬を禁じた(放置された藩士や女性、子供の死体は腐敗し、烏の餌になったとされる)件や、戊辰戦争後も山県有朋長州閥によって会津の人達が様々な部分で冷遇された事がその原因とされている。

会津若松市民の中には、賊軍という理由だけで埋葬を禁じた(しかし、遺体放置の話の根拠とされる「明治戊辰戦役殉難之霊奉祀の由来」に記されている官命では、彼我の戦死者、つまり会津軍、新政府軍双方の戦死者に対する一切の処置を禁止する内容となっており、会津藩の死者の埋葬のみを禁じたものではなく、死体からの金品剥ぎ取りを防ぐための一時的処置と考えられる。

また戊辰戦争会津の民政を任され遺体埋葬も担当した会津民政局には長州藩関係者は全くいない)蛮行についての謝罪が一切無いことに対して、未だ許せないと考える人がいる。現在でも、行政レベル、市民レベルでの交流は幾度と無く試されているが、未だ完全な和解には至っていない。
【以上 フリー百科事典、ウイキペディア(Wikipedia) より転載】

アメリカの内戦 「南北戦争」 での遺恨感情は今どうなっているのだろうか・・・?まして外国との戦争では? 国と国との平和友好条約は過去の過(あやま)ちを謝罪し、未来志向であれば締結出来るにしても、史実を消す事はできないので国や戦争犠牲者の子供、孫、曾孫、などに遺恨は永遠に残る事でしょう・・・

現代に於いて、武力に依る戦争をしない事が最優先!勝っても負けても得する事が無く、悲惨な目に会うのは双方の兵士や庶民!
伯爵




高杉晋作伊藤博文が子供の時に勉強していた、円政寺・・・




木戸孝允の旧宅・・・




青木周弼(しゅうすけ)の旧宅・・・




高杉晋作の旧宅・・・


Photo by Kanji. June. 18(W). 2008. at HAGI old-city in Yamaguti pref.