18世紀以降の 大津波 ・・・

日本国内を発生源とする津波


1703年 元禄大地震 - 津波高さ 8 メートル以上。20 メートルの地点もあり。津波犬吠埼から下田までを襲い、数千人が犠牲となった。もともと湖であった伊豆大島の波浮港がこの津波で海とつながった[12]。

1707年 宝永地震 - 津波紀伊半島から九州までの太平洋岸から瀬戸内海にまで及んだ。流失家屋20,000戸。

1741年 北海道西南沖の渡島大島近海で地震、対岸の熊石から松前にかけて大きな被害、津波高さ3メートル、佐渡島でも津波を観測[13]。

1771年 八重山地震 - 石垣島 死者・不明者12,000人。津波の高さは85メートルとされてきたが、琉球大学らの研究では18m。

1793年 2月17日宮城沖に発生した地震で、岩手県中部〜牡鹿半島沿岸に3〜5mの津波

1854年 安政東海地震 - 12月、駿河湾から遠州灘震源とするM8.4の地震。房総で波高3 - 4 メートル。沼津から伊勢湾が被害甚大、死者 2,000 - 3,000 人。

1854年 安政南海地震 - 安政東海地震のわずか32時間後、紀伊半島南東沖一帯を震源とし同じくM8.4という地震紀伊半島から四国、九州のみならず大坂市内にまで壊滅的な被害が出た。『稲むらの火』の背景となった津波津波高さ串本で15メートル、死者数千人。典型的な東海・南海・東南海連動型地震

1896年 明治三陸地震 - 岩手県綾里 津波高さ38.2メートル、死者不明者22,000人

1923年 関東地震 - 津波の最大波高は熱海で12メートル。数百人が犠牲となる。
1933年 昭和三陸地震 - 死者・不明者3,000人。

1940年 積丹半島地震神威岬地震) - 天塩で死者10人。

1944年 東南海地震 - 津波の波高は熊野灘沿岸で8メートルに達する。

1946年 南海地震 - 津波静岡県から九州まで来襲、最高6メートル

1952年 十勝沖地震 - 津波により、北海道厚岸郡浜中村(現 浜中町)南部が壊滅する。津波は、厚岸湾が最高で6.5m、青森県八戸市で2mなど。

1964年 新潟地震 - 津波規模2メートル。観測地点によっては4メートル。

1983年 日本海中部地震 - 津波による犠牲者104人。

1993年 北海道南西沖地震 - 奥尻島津波高さ 30 メートル - 死者・不明198人。奥尻町青苗地区は壊滅。

2011年 東北地方太平洋沖地震 - 10メートル以上。死者多数。岩手県宮城県に壊滅した自治体が出るなど東北地方の太平洋岸で大被害が発生。三陸沖・福島県沖・茨城県沖の3つの断層が一斉に動いたもので、20世紀以降、日本で発生した地震としては、観測史上最大である。M9.0。



日本国外を発生源とする津波


1755年 リスボン地震 - 津波によりおよそ10,000人が死亡。

1946年 アリューシャン地震 - 波高30メートル(推定)- 死者行方不明者165人。

1960年 チリ地震 - 日本では死者不明者142名。地震発生の22時間30分後に18,000キロメートル離れた太平洋沿岸に津波が襲来した。遠隔地津波として日本では有名。

2004年 スマトラ島沖地震 - 波高34 メートル - スマトラ島アチェスリランカ、タイ・プーケット島周辺を中心にアフリカ東岸にかけて、インド洋沿岸各国で 25 万人の犠牲者。遠隔地津波発生で史上最大の被害。

2010年 チリ地震 - 地震発生から21時間後にフランス領ポリネシアで4メートル、ハワイのマウイ島で1.8メートル。ファン・フェルナンデス諸島のロビンソン・クルーソー島で3人が死亡・複数人が行方不明。

【以上、Wikipedia フリー百科事典から抜粋】

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E6%B3%A2




地震津波大国 日本の 危機管理学者や防災学者、建築学者原発設計者や 政治家などが、”想定外だから・・・” という言い訳をしたり、甘んじるのはおかしいのでは?

東北・関東大震災に遭われた方々や亡くなられた方々へ お悔やみ申し上げます。 余震が続いたり、福島原発からの放射能で大勢の方々が怯えて生活しています。津波で家を流されたり、ご家族を亡くされたりした方々は悲しみのどん底にあると思いますが、寒い時期でもあり体調に気を付けて頑張ってください。


過去に10mを越える津波を何度も経験している日本。 日本近海で天変地異や巨大地震が発生したら、30mを超える大津波も可能性は十分有るのではないでしょうか?


原子力空母が存在する時代、何故原発設計者は海上に浮かぶ ”原発母艦”の構想が出来なかったのでしょうか? 海上2〜3km 離れた所で浮かせた”原発母艦”で発電し、陸上に送電するシステムの方が安全なのでは?


日本は ”平和ボケ” して油断しているのでは? 日本の隣国、中国、ロシア、アメリカ、は多くの核弾頭を保有し、北朝鮮は製造中かもしくは既に数発は保有しているかも・・・。ヨーロッパの多くの国々では民家にも ”核シェルター”を備えているようですが、日本では・・・?


津波による災害で建築物を考えた場合、家屋はラグビーボールのような形にした ”浮き船”にして、碇(いかり)を土台に固定するような民家は何故考えられないのでしょうか・・・? 特に入り江が狭いリアス式海岸では、津波の高さが高くなるので・・・


もし、相模灘東京湾近くで巨大地震が発生したら、東京湾埋立地や 江東ゼロM地帯は一変に大津波に飲み込まれてしまうかも・・・。今回の揺れで浦安地区は液状化現象で水道管やガス管の破損、電信棒の傾きなどがあって大きな災害に遭われていますね・・・


今回のM9 巨大地震が発生してから津波が襲って来るまで、20〜30分の時間が有った・・・、と伝えていますが 多くの被災者が ”オオカミ少年”のようになられていたのでは? 学校や病院、原発、行政機関や老人ホーム、等々は津波の心配が無い高台に建設すべきなのでしょう・・・


以上、震災後2週間が経とうとしていますが、今回の大津波について伯爵が思った事、疑問に感じた事を書いてみました。
文責・伯爵


椿、蜀紅・・・

Photo by Kanji. Mar.23(W).2011. a Japonica in my garden.