大友 誠 さんが他界されたという突然の訃報が ・・・

I was so surprised to hear the news of Mr.Otomo's passing.
He was born 1940, and passing date was on May 19(Th)/2011, was 70 years old by Pancreas-Cancer.
He worked at Osaka KHGC-Studio for the long years.
Mr.Otomo was fine man, and I will miss him deeply.

Kanji Kakefuda


某中堅グラビヤ印刷会社に伯爵と同期入社した 大友 誠さんが逝去されたという訃報が ご近所に住むWさんから電話で入りました。彼は同社でドイツ製のカラーグラフ(ColorGraph Scanner) という、真空管式の製版カラースキャナを日本で初めて操作し、グラビヤ印刷業界に電子色分解方式を確立しました。


当時の月刊 「平凡」や「明星」の100万部を越えていた大量印刷、「週刊・平凡パンチ」等々の週刊誌発行ブーム、「アンアン」、「ノンノン」等々のファッション雑誌の印刷、アポロ5号の月面着陸で新聞写真のカラー化印刷では グラビヤ印刷機や 機材が使われ、カラーグラフ がカラー印刷の品質向上に重要な役割を果たしていました。


当時は多くの週刊誌や新聞印刷に係わっていたので、夜勤や100時間を越える残業も平常化し、大晦日や元旦も工場で働いた年もありましたね・・・、給料は各種手当てで倍増、”神武景気岩戸景気時代” だったのでしょうか? 労働力や 人材不足であった昔が偲ばれます・・・


今年の二月二日に日本印刷技術協会が主催している、”Page 2011” という印刷製版機材の展示会が東京で開催された際に、彼は大阪から出て来られ鎌倉のWさんと伯爵の三人が池袋駅前で会食したばかりでした。三人の内で彼が一番元気で、背筋もピット伸びていて健康の秘訣を教えて戴こうと話した位でしたが・・・


その時に戴いた名詞の肩書きには、関西の某印刷会社の技術顧問、IGU 国際印刷大学校 客員教授、等々・・・、が書かれてあり現役でバリバリに活躍しているものと羨ましく思っていましたが・・・。波乱万丈の人生でしたね、ご冥福をお祈り致します。合掌・・・

【追悼】
掲載した白黒写真の2機種は昭和37年頃、西ドイツ・ヘル社( Dr.Hell AG )で製造され 海外通商(株)によって輸入されました。 故・大友 誠さんが昭和40年(1965)に(株)千代田グラビヤ印刷社に入社され カラーグラフ Color Graph C-212 を、昭和43年頃まで実操作されました。彼は電子工学を、伯爵は化学工学を大学で学んだので同社では別職場で働きました。


なにせ、真空管を100本位使ったアナログ機材でしたので安定性に欠けていましたが、グラビヤ印刷のカラー化や カラー印刷の品質向上技術が確立されました。そして次世代のトランジスターや デジタル技術を使い 安定性が著しく向上したカラー・スキャナー、(Hell Chroma Graph Scanner) の数々が西独キール市のヘル社で次々に生産され、印刷製版業界では平成初期まで画像処理機材の全盛時代になりました。


故・大友さんは仙台出身、昭和45年頃 (株)千代田グラビヤ印刷社から仙台の中堅印刷会社に移籍された後、「タイ味の素」 の包装印刷に係わり技術指導でタイ国に出向されていました。帰国後一二年して スイス・チューリッヒに本社が在るコングロマリット UHAG、の東南アジア支社 海外通商(株)のグラフィック・アーツ事業部から独立した、海外ヘル・グラフィックス・センター(株)に入社され、画像処理機材の関西地区ショールーム 兼 トレーニング・センターの運営を任され務め上げました。 ご苦労さまでした、合掌・・・
伯爵


右が 故・大友 誠さん、平成23年2月2日 池袋にて・・・
ご冥福をお祈り致します、合掌・・・


写真の下段は、グラビヤ自動彫刻機(ヘリオ)の原型になった、ヘル・バリオ・クリショグラフ (Hell Valio Chrisyo Graph)

白黒写真は、昭和37年発行 「印刷雑誌」 第45号から