同期生の広いお庭 「椿寿庵」 で三ヶ日みかん狩り、奥山 方広寺へ

翌17日(月)もやや雲がありましたが晴れて暖かく、「三ヶ日みかん狩り」には絶好のコンディション。小・中・高の同期生 Matui-San のご主人の実家が、ここ奥山 方広寺、半僧坊のお近くにあって庄屋さんのような広い敷地に 「椿寿庵」というお庭、「みかん園」や桃畑、栗林などもあって、都会生活とは異なる典型的な 「里山」生活を夫婦お二人で エンジョイされていて羨ましい限り・・・

http://www5c.biglobe.ne.jp/~chinjuan/

約30本の 「三ヶ日みかん園」、数年前までは人に貸して出荷もしていたそうですが、今は高齢化で管理が困難になり、Matui-San のご家族やお孫さん、知人・友人を招いて、「三ヶ日みかん狩り」を楽しまれているとのこと。車で5分の近くに、奥山 方広寺、半僧坊 があってご主人が代表 檀家さんのようで、ミカン狩りの後 案内と詳しい説明をして戴きました。半僧坊の総本山でもあって、菊の紋章と桐の紋章で皇室の方々もご参拝に来られるそうです。
伯爵


朝の奥浜名湖・・・

朝湯の展望風呂に浸かって・・・



朝食はバイキングではなく、お膳で・・・

シャッターを押してもらって、4人で パチリ・・・

さあ! 「三ヶ日みかん狩り」へ 気合を入れて・・・


「椿寿庵」さんで ”三ヶ日ミカン狩り”、そして半僧坊 総本山へ・・・


広い庭園、奥山の 椿寿庵さんの入口へ・・・

Welcom Bord があり、感激・・・

たわわに実っている、甘〜い 三ヶ日ミカン・・・


今は新潟 柏崎にお住まいの Ikeda-San、三ヶ日ミカン狩りに感動!

お隣同士で育った 幼友達、REIKO-San と TOMOKAZU-San、奥山の 「椿寿庵」で再会・・・

全員、小・中・高校 の同期生・・・

Matui-San ご夫妻と一緒に・・・

玄関前で パチリ・・・

Photo by Kanji. Dec 17(M).2012. at THINJYU-AN in Shizuoka pref Japan.

http://www5c.biglobe.ne.jp/~chinjuan/newpage6-4.htm

Matui-San ご夫妻の案内で 半僧坊大権現、奥山 方広寺さん(臨済宗方広寺派大本山)へ

静岡県西部、浜松市北区にある寺。臨済宗方広寺派大本山で、山号は深奥山。1384年に 奥山朝藤が建立。無文元選(聖艦国師)の開山。江戸時代には徳川氏および朝廷(天皇家)の祈願所となり大いに栄えた。1903年に独立して一派の大本山となった。鎮守の神として 半僧坊大権現を祀る。(ブリタニカ より)

鎌倉五山の一つ、臨済宗 建長寺派大本山が北鎌倉に在りますが、伽藍の大きさや境内の広さなどは、臨済宗 方広寺派の大本山 深奥 方広寺の方が規模が大きいようでした。第二東名高速、浜松いなさIC が出来たので、人の往来が多くなることでしょう・・・
重要建築物や 重要美術品も数多くあり、あまり人に知られない方が良いのですが・・・
伯爵


明治維新頃まで、神仏一体になっていたので寺院の中に神社があったり、神社境内に仏閣があったり・・・
鎌倉八幡宮は今は神社ですが、昔は ”鶴岡八幡宮寺” という寺院でしたね・・・

重要文化財の神社お社です・・・

江戸時代の籠も無造作に置かれてありました・・・

初めて知ることばかりなので、 Matui-San の説明に感心してしまいました・・・

お神楽を舞う、舞殿・・・

参拝殿前 左右にある龍の彫り物は、スケールも大きく美術品として国宝になるかも・・・






平成時代に取り替えた、大きな鬼瓦だそうです・・・

裏庭の説明を受けて・・・





丸山応挙 直筆の幽霊画、江戸時代この足が無い幽霊画から、幽霊に足がなくなったそうです・・・

この絵も、知られた画家が描いた絵だそうで 文化財になっていました・・・


昔ながらの、鐘楼・・・


これで奥山 方広寺の見学を終え、国民宿舎 奥浜名湖で昼食を摂り第二東名を通って帰路に・・・
「三ヶ日ミカン狩り」で採取させて戴いた、三ヶ日ミカンは 「青島」という品種でダンボール箱に入れて正月まで熟成保存します。
現在市場に出回っている「三ヶ日みかん」は早生種です・・・


17日(月)昼食を 国民宿舎で戴いて・・・

富士川SA で休憩、沼津IC を東名から降り、箱根新道越え→ 西湘バイパス→ 鎌倉へ・・・




Photo by Kanji. Dec17(M).2012. from HOUKOUJI-Temple to Kamakura Japan.