戦後の食糧難時代、お米を貰いに来たことがある 土浦・・・

敗戦後の日本、衣食住が不足し都市生活者は特に食糧や衣料品の欠乏に右往左往し深刻な状態でした。小学1〜2年生の頃、父親に連れられて土浦に”お米の買出し”に来た事がありました。土浦から更に奥、森林鉄道の貨車に乗って、遠い親戚の農家さんを頼っての事でしたが、お米は既に配り終えた後で無く、背負ったリュックサックに ”さつま芋や里芋”を多少分けて貰って、鶴見に帰った当時が思い起こされました。


戦中・戦後は、楽しい事や娯楽に関する事も無く、鶴見では石炭で風呂を沸かし、薪で飯を炊き、薪炭の掘りごたつで親から習った ”甘酒やドブロク”造り、庭には ”野菜畑や鶏舎” を作り、半自給自足の生活。家族8人と下宿人2人の計10人での生活でしたが、”お互いの 思いやり、互助精神、家族の絆、”が育まれ、生活を維持するのに、向上させるのに皆が努力しました。


土浦の高橋家のご兄弟さまは9人! 強い絆での思いやり、素晴らしいご家族ですね! 悲しみを乗り越えて頑張って下さい。忠行様のご冥福をお祈り致します。

     2014/12/11(Th)                        掛札寛治


筑波山を遠望し・・・



Photo by Kanji. at the HOTEL MAROUDO Tukuba.