タイ チェンマイでの玉本事件を連想させる、不思議な事が・・・

TV-News を見ていたら、タイのマンションでほぼ同年齢の幼児9人(男児6人、女児3人)と各々の母親らしき女性9人? がタイ警察によって発見され、その父親はDNA 鑑定の結果 一人の日本人男性らしい? という特異なニュースが報道されていました。男性社会ではお酒が入ると今でも語り継がれる、”タイ チェンマイでの玉本事件” を連想してしまいますね・・・


それとも、営利目的での ”国際幼児人身売買事件” になのか? 注目される事件・・・
伯爵



【昔の、玉本事件の詳細が Web に公開されていたので 以下に転載しました】


「俺は玉本じゃないギョクモトだ」

2006-12-05 09:10:40 | 報道1973年1月チェンマイ警察は30代の日本人男性、和歌山県出身玉本敏夫を人身売買容疑で逮捕した。
玉本は東京オリンピックの時砂利の販売で儲け世界旅行に行き最後に行き着いたのがタイ・チェンマイ
そこで玉本は貧しい娘達(13歳から15才)13人を大きな一軒家に住まわせ関係を続けていた。
そして彼は英語の話せるタイ人男性を使い道や市場で見かけた好みの少女の家に行き両親に結納金とし当時日本円で50万円を渡し少女達を集めていた。
彼は毎月1万円ほど家族に渡し少女達には学校にも行かしていた。
日本人のハーレム、とタイの新聞が報じたのがその一年半後で地元警察が捜査し玉本を人身売買容疑で逮捕した。


このことはタイ国内でも意見が二つに割れた、貧困層「いい事じゃないのタイ人でもできないよ50万円くれて学校にも行かせてくれるんだから」豊かな人「日本人にとって50万円なんか大金じゃない幼い娘達を金で買うなんてとんでもない」日本人男性「羨ましい、自由に生きて若い娘達に囲まれて暮らせるなんて」
もちろんこの事は日本の報道関係、日本大使館の知れることとなり日本の兵庫県警捜査官が来て国外追放された彼を覚せい剤取締法違反で逮捕した。
玉本は日本出国する前韓国と沖縄から覚せい剤を日本に持ち込んだので国際指名手配されていた。
日本に行った玉本は裁判で懲役6年の実刑を受けそのまま服役した。
出所した玉本は今度はフィリピンに同じハーレムを作った、表向きは不動産業でもチェンマイの幼い妻に会いたい15才の妻との間に出来た二人の息子にも会いたい、それでタイ入国禁止になっているにも関わらず数回タイに行ったが入国審査で見つかり入国できない。
玉本の母親(大学教授)が彼の代わりにチェンマイに行くことになった、子供達と幼い妻達にお土産を沢山持って行きたいのでバンコクから長距離バスで12時間、年老いた母親にはきつかったと思う。
そこで玉本は考えた、玉本敏夫はギョクモトハルオとも読める、そうだ新しくパスポートを取ろう。
申請の時、漢字名は玉本敏夫ローマ字はHARUO GYOKUMOTOこれがすんなり通ってしまった。
そして、この新しい旅券を使って玉本はカンボジアプノンペンに行き少女を探したが最近少女買春で捕まる日本人が多いと聞く、そうだシェムリアップに行こうあそこは田舎の州だしタイ国境も近い陸路で出れば金もかからないしビザも取れるチェンマイの妻達も国境の町(アランヤープラテート)まで呼べる、そしてケチな玉本プノンペンからトンレサップ河を船でさかのぼってシェムリアップに行った。
毎朝、朝市場に行くと幼い少女達が沢山働いている、懲りない玉本クメール語はできないので英語の話せるバイクタクシーの運転手ポットに自分が気に入った少女の家に行ってもらい親に話をつけさせた。
条件は結納金として2万ドル、毎月100ドルを払う、ただし擬似結婚式を挙げてくれ、住むのは別々俺の方から家に行って夜は一緒に寝る、彼はまた警察に捕まることを恐れこの方法を取ったのだ。
そしてまたカンボジアの地元紙に書かれた、日本人お爺さん若い娘と次々に結婚、と。
これを知った日本の報道関係、今度はシェムリアップに行き彼のコメントを取ろうとしたが玉本は逃げた。
日本の新聞報道によれば60人の少女とを囲っている玉本、と書かれたが本当は15人。
私は某放送局から玉本に会って独占インタビューを取れ、と言われシェムリアップに行ったが会えず周辺取材をした、その様子を聞いていた乞食が「俺彼を知っているよでも彼が大金持ちだとは思わない、何故かって俺と同じ格好をしているからさ」玉本が使う金は少女たちだけ、生活には全く無頓着。
私はある情報を掴んだ、毎月玉本はタイ国境に行き(アランヤープラテート)ビザを更新している(カンボジアはツーリストビザは1ヶ月しか出さない)ワンディ・リターンである。
そこで私は国境に行って知り合いのイミグレ警察官に名前と生年月日で彼の入国記録を調べてもらう、HARUO GYOKUMOTOで。
プリントアウトされた入国記録にはなんと毎月タイに来ていることが分かり彼のパターンも知ることになった。
警察官は彼はまだ入国禁止になっている、次回入国したら身柄拘束する、と言い出した。


これはニュースだ特ダネだ、喜んだ私は彼が次にタイに来る日を割り出し入国窓口で待っていると18才ぐらいの超美人と一緒に玉本は現れタイの入国カードに記入している、私は隠し撮りカメラで撮影し彼がタイに入国した時かねてから打ち合わせしてあった警察官を呼んだ。
警察官出現とともに一緒に来た美女はかっとんでカンボジア側に逃げ帰り玉本だけが捕まった。
警察本部に連行された玉本に私は「玉本さんですね、何故タイに来たんですか?」と尋ねたところ「俺は玉本じゃないギョクモトだ」「30年以上前にチェンマイで逮捕された玉本さんでしょう?」「お前は誰だ、何で撮影するんだ、」と70才近いとも思われない力でカメラに掴みかかってきた。
私はここで玉本と認めれば国外追放になりカンボジアに帰れることを話したが全く認めない、警察は彼の持ち物を調べた、小さいビニール袋には運転免許、降圧剤、汚い下着1枚、入っており着ている服はツギハギだらけのぼろぼろ。
本部で取調べしているとタイのメディアがかぎつけ次の日の朝刊一面にでかでかと載ってしまった。
そして、その日の夕方30代の若いタイ人男性が女性と一緒に彼に面会に来た、何と玉本の息子でバンコクで弁護士をしているという。
そして彼は玉本に「お父さん玉本と認めれば釈放されますよ、私達家族とバンコクで暮らしましょう」「分かった本名を認めよう、でも俺は若い妻がいるシェムリアップがいい」。
次の日、彼は玉本と認めたので国境から再びカンボジア側に帰って行った、内心私は特ダネありがとう、と思って撮影を終わりにしようとしていたところ、玉本がタイ側に戻ってくるじゃないですか、タイの警察官が事情を聞いたところ今度はカンボジア側が玉本を入国禁止してしまった、困り果てたイミグレ警察は玉本をバンコク空港から国外追放させようとバンコクのイミグレ警察に身柄を渡した。
数日後、玉本に面会に来た日本大使館員は玉本がバンコク→マニラ→東京の航空券を所持していたので彼の旅券を取り上げ一時渡航書を代わりに渡した。


玉本はマニラにもハーレムがありそこで降りてまた問題を起こされてはかなわない、と思った処置だ。
何故玉本はカンボジア入国を拒否されたか、彼はシェムリアップの銀行に日本円で約4億円の預金がありその金欲しさカンボジア入管が玉本を入国できなくしたようです。
それに彼には新しい旅券が発行されるが名前はTOSHIO TAMAMOTO 預金通帳の名前はHARUO GYOKUMOTO 結局全額預金はカンボジア政府に没収。
彼は大阪の一等地に大きなマンションを持っていて毎月多額の家賃が入ってくる、和歌山にポンカンの畑を持っている、だから日本の国税局に知れると脱税で追徴金が来るので日本のメディアに取材されるのを嫌がった。
この話約4年前ですが現在玉本はタイ国、カンボジア入国が可能になりシェムリアップに戻って少女と暮らしているそうです。
【以上、公開 Web から転載しました】